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Was ist die Muttersprache Jesu? イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて

Was ist die Muttersprache Jesu?

イエスの母語は何か?—紀元1世紀ローマ帝国のポリグロシアについて

「言語学な人々」アドベントカレンダー12月25日

本記事は、北星学園大学の松浦年男先生がご企画なされた「言語学な人々」というアドベントカレンダーの企画のために書かれました。本記事はこのアドベントカレンダーの最終日のためのものです。「言語学な人々」のアドベントカレンダーの最終日の執筆を承りまして、言語学聖書学・初期キリスト教文献学・コプト学・エジプト学 人文情報学 を学んできたので、これらの知識から何かできないのか考えました。いろいろ面白いアイデアがたくさん思い浮かんできたのですが、どれにしようか迷って、ツイッターで多数決をとったところ、イエス・キリストの母語についてが一番多かったので、アドベントカレンダー最終回は、クリスマスらしく、イエス・キリストの母語について書こうと思います。


はじめに

みなさま、クリスマス、おめでとうございます。クリスマス [kɯ̟ᵝɾʲisɨᵝma̠sɨᵝ] とは、英語の語彙である Christmas [ˈkɹɪsməs]「キリストのミサ」から日本語に借用された外来語で、その意味は、キリストの生誕を祝うミサもしくは礼拝をおこなう日のことです。Christmasという単語自体は、アングロ・サクソン語古英語)で Cristesmæsse *[ˈkris.tezˌmæs.se] 「キリストのミサ」に遡ります。ミサとはキリスト教、とくにカトリックの、聖体拝領を伴う礼拝のことです。 日本語のクリスマスのように英語のChrismasから借用した例としてはハワイ語のKalikimaka [kəlitiˈmɐkə] などがあります。ヨーロッパの諸言語では、英語Christmasとはだいぶ形の異なる語彙を使う言語が多いです。ドイツ語ではクリスマスは、Weihnacht [ˈväɪ̯ˌnäχt]「聖なる夜」です。スペイン語ではNavidad [na.β̞iˈð̞að̞] で、ラテン語nātīvitās *[näːˈt̪iːu̯ɪt̪äːs̠]「生誕」に由来します。フランス語ではNoël [nɔɛl]、ポルトガル語ではNatal [naˈtaʊ̯](ブラジル)もしくは [nɐˈtaɫ](ポルトガル)、イタリア語ではNatale [naˈtaːle]で、これらはラテン語nātālis *[näːˈt̪äːlʲɪs̠]「生誕日」がその語源です。日本語では、キリスト教会などで、降誕祭という呼称も用いらています。

現代ギリシア語では、Χριστούγεννα [xɾiˈstu.ʝe.na](意味は「キリストの生誕」)で、キリストの生誕を意味します。英語でChristmasX’masと書くことがありますが、あれは、キリストChristの原語が古代ギリシア語Χρῑστός *[kʰrìːstós] (古典; ピッチアクセントに注意)もしくは [xrisˈtos](中世・現代)であり、その頭文字がXの形をしているからです。ちなみに、Χρῑστός は、古典ヘブライ語מָשִׁיחַ‎ *[maːˈʃiːaħ]「油注がれた者」の翻訳借用で、χρῑ́ω 「擦る、(儀礼で)油を塗る」の動詞語根に、動詞を形容詞化する接尾辞の -τόςがついたものです。油注がれた者とは、イスラエルの王が王位についたり、高位聖職者が職務に就いたりするときに行われる儀式である油注ぎをなされたものということなのですが、のちに、様々な預言者によって預言された、様々な外国勢力に征服され支配され続けたイスラエルを独立させる救世主、英雄を表す単語になりました。イエス・キリストというのは、このイエスこそがキリスト、すなわち「油注がれた者」、すなわち「救世主」であるとするキリスト教の信条に根ざした表現です。イエスという名前は、ヘブライ語の「神は救い」という意味の יְהוֹשֻׁעַ‎ *[jəhoːˈʃuaʕ] の短縮形יֵשׁוּע *[jeːˈʃuːaʕ] (カタカナで近い発音で書いたら、それぞれイェホーシュアとイェーシューア)のギリシア語Ἰησοῦς (エラスムス式古典ギリシア語発音は*[iɛ̀ːsúùs]、紀元後4世紀のコイネー・ギリシア語の再建音*[iiˈsus])に由来しています。この名前は当時イスラエルの民の中で、非常に良くある名前でした。旧約聖書に出てくるモーセの後継者であるヨシュアもヘブライ語では同じ名前です。このようにイエスという人物はおおぜいいるため、クリスマスの主役であるイエスは生まれ育った町であるナザレの地名をつけて「ナザレのイエス」と呼ばれます。ちなみに当時は、今の日本にあるような苗字はイスラエルの民のなかではありませんでした(ただし父親の名前に根ざした父称も用いられました)。

じつは、クリスマスは、12月25日の午前0時から午後12時までではなく、教会暦においては、12月24日の日没から、12月25日の日没までです。これはキリスト教がそこから生じたユダヤ教の伝統に根ざしていると言われます。また、12月25日がキリストの降誕の日となったのも、聖書や歴史的文書などに根拠があるわけでなく、ローマ帝国の冬至の祭りの日にちを受け継いでいるなど様々な説があります。また私たちが現在使っている暦は、西欧で改良されたグレゴリオ暦ですが、グレゴリオ暦以前の暦であるユリウス暦を用いているロシア正教会などの東方正教会のいくつかの教会や、東方諸教会と呼ばれる、コプト正教会やシリア正教会が属する中東などのいくつかの教会では、1月6日の日没から1月7日の日没までがクリスマスです。

イエスの誕生話は、キリスト教の聖書の中の新約聖書の中の『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』に書かれています。このうち、『ルカによる福音書』の方がより詳しく書かれています。ちなみに、福音書とは、キリストの福音、すなわち「良き知らせ」を記録した書のことです。この良き知らせ=福音とは、イエスが待望された救い主であることを表しており、原語のギリシア語ではεὐαγγέλιονで、古典ギリシア語エラスムス式発音だと *[eu̯aŋˈɡelion]で、エウアンゲリオンに近く、中世ギリシア語だと*[eβaŋˈɡelion]で、現代ギリシア語だと[evaɲˈɟelion]でエヴァンゲリオンに近い発音で発音されます。某アニメのタイトルにもなっているので、親近感がわくのではないでしょうか。ちなみに、英語ではGospel [ˈɡɒspəɫ] で、これはアングロ・サクソン語古英語)のgōdspel *[ˈɡodˌspeɫ](=good spell)に由来しています。キリスト教徒にとっては、この世の人々を罪から救う救い主(キリスト)であるイエスがお生まれになり、人類の罪を背負って死んだが、3日の後に蘇った後昇天したことがエヴァンゲリオンであり、その救世主の誕生を祝うのがクリスマスなのです。


新約聖書は何語で書かれたか

せっかくの、イエスの生誕を祝うクリスマスなので、新約聖書『ルカによる福音書』(エヴァンゲリオン・カタ・)に書かれている、イエスの誕生シーンを読んでみましょう。それも、翻訳ではなく、新約聖書の原典の文、それも、現在完全な形で残存している聖書写本の最古級のものと目されているシナイ写本で読んでみましょう。このシナイ写本は、エジプトのシナイ半島にあるカタリナ修道院で見つかったものです。

Codex Sinaiticus.orgより(https://codexsinaiticus.org/en/manuscript.aspx?book=35&chapter=2&lid=en&side=r&zoomSlider=0#35-2-1-11、最終閲覧日2021年12月24日)

誕生シーンを全部写せず申し訳ありませんが、興味がある方は、次の、ドイツ研究振興協会などが出資しているプロジェクト、Codex Sinaiticus.orgを開いてみてください。このサイトでは、シナイ写本の高精細画像、翻刻、そして、現代語訳を読むことができます。このシナイ写本は、アンシャル体という当時よく使われていた書体で書かれています。この文字には現在は大文字と小文字があるのですが、この時代は全て大文字で書かれていました。また、語ごとにスペースが書かれていませんでした。つまり、分かち書きがなされていなかったということです。これを、現在よく用いられている大文字と小文字を組み合わせる書き方で、分かち書きしながら書いてみると、次のようになります。

Ἐγένετο δὲ ἐν ταῖς ἡμέραις ἐκείναις ἐξῆλθεν δόγμα παρὰ Καίσαρος Αὐγούστου ἀπογράφεσθαι πᾶσαν τὴν οἰκουμένην. αὕτη ἀπογραφὴ πρώτη ἐγένετο ἡγεμονεύοντος τῆς Συρίας Κυρηνίου. καὶ ἐπορεύοντο πάντες ἀπογράφεσθαι, ἕκαστος εἰς τὴν ἑαυτοῦ πόλιν.

Ἀνέβη δὲ καὶ Ἰωσὴφ ἀπὸ τῆς Γαλιλαίας ἐκ πόλεως Ναζαρὲθ εἰς τὴν Ἰουδαίαν εἰς πόλιν Δαυὶδ ἥτις καλεῖται Βηθλέεμ, διὰ τὸ εἶναι αὐτὸν ἐξ οἴκου καὶ πατριᾶς Δαυίδ, ἀπογράψασθαι σὺν Μαριὰμ τῇ ἐμνηστευμένῃ αὐτῷ, οὔσῃ ἐγκύῳ. 

Ἐγένετο δὲ ἐν τῷ εἶναι αὐτοὺς ἐκεῖ ἐπλήσθησαν αἱ ἡμέραι τοῦ τεκεῖν αὐτήν, καὶ ἔτεκεν τὸν υἱὸν αὐτῆς τὸν πρωτότοκον, καὶ ἐσπαργάνωσεν αὐτὸν καὶ ἀνέκλινεν αὐτὸν ἐν φάτνῃ, διότι οὐκ ἦν αὐτοῖς τόπος ἐν τῷ καταλύματι.

Καὶ ποιμένες ἦσαν ἐν τῇ χώρᾳ τῇ αὐτῇ ἀγραυλοῦντες καὶ φυλάσσοντες φυλακὰς τῆς νυκτὸς ἐπὶ τὴν ποίμνην αὐτῶν. καὶ ἄγγελος κυρίου ἐπέστη αὐτοῖς καὶ δόξα κυρίου περιέλαμψεν αὐτούς, καὶ ἐφοβήθησαν φόβον μέγαν. καὶ εἶπεν αὐτοῖς ὁ ἄγγελος· μὴ φοβεῖσθε, ἰδοὺ γὰρ εὐαγγελίζομαι ὑμῖν χαρὰν μεγάλην ἥτις ἔσται παντὶ τῷ λαῷ, ὅτι ἐτέχθη ὑμῖν σήμερον σωτὴρ ὅς ἐστιν χριστὸς κύριος ἐν πόλει Δαυίδ. καὶ τοῦτο ὑμῖν τὸ σημεῖον, εὑρήσετε βρέφος ἐσπαργανωμένον καὶ κείμενον ἐν φάτνῃ. καὶ ἐξαίφνης ἐγένετο σὺν τῷ ἀγγέλῳ πλῆθος στρατιᾶς οὐρανίου αἰνούντων τὸν θεὸν καὶ λεγόντων·

δόξα ἐν ὑψίστοις θεῷ
καὶ ἐπὶ γῆς εἰρήνη
ἐν ἀνθρώποις εὐδοκίας.

Καὶ ἐγένετο ὡς ἀπῆλθον ἀπ’ αὐτῶν εἰς τὸν οὐρανὸν οἱ ἄγγελοι, οἱ ποιμένες ἐλάλουν πρὸς ἀλλήλους· διέλθωμεν δὴ ἕως Βηθλέεμ καὶ ἴδωμεν τὸ ῥῆμα τοῦτο τὸ γεγονὸς ὃ ὁ κύριος ἐγνώρισεν ἡμῖν. καὶ ἦλθαν σπεύσαντες καὶ ἀνεῦραν τήν τε Μαριὰμ καὶ τὸν Ἰωσὴφ καὶ τὸ βρέφος κείμενον ἐν τῇ φάτνῃ· ἰδόντες δὲ ἐγνώρισαν περὶ τοῦ ῥήματος τοῦ λαληθέντος αὐτοῖς περὶ τοῦ παιδίου τούτου. καὶ πάντες οἱ ἀκούσαντες ἐθαύμασαν περὶ τῶν λαληθέντων ὑπὸ τῶν ποιμένων πρὸς αὐτούς· ἡ δὲ Μαριὰμ πάντα συνετήρει τὰ ῥήματα ταῦτα συμβάλλουσα ἐν τῇ καρδίᾳ αὐτῆς.καὶ ὑπέστρεψαν οἱ ποιμένες δοξάζοντες καὶ αἰνοῦντες τὸν θεὸν ἐπὶ πᾶσιν οἷς ἤκουσαν καὶ εἶδον καθὼς ἐλαλήθη πρὸς αὐτούς.

ネストレ=アーラント第28版より(https://www.bibelwissenschaft.de/online-bibeln/novum-testamentum-graece-na-28/lesen-im-bibeltext/bibel/text/lesen/stelle/52/20001/29999/ch/13ed9990af418d2300e3bfe7ecb2963f/、最終閲覧日2021年12月24日)

これは、さまざまな日本語訳聖書の底本、すなわち翻訳元になっているドイツのミュンスター大学の新約聖書本文学研究所が編纂しているネストレ=アーラント版新約聖書28版 (Nestle et al. 2012) から取ってきたものです。現存の新約聖書の写本を見比べて批判校訂されているため、若干、シナイ写本と読みが違う箇所がありますが、ここではあまり踏み込みません。

このネストレ=アーラント版新約聖書本文をよく見てみると、私たちが日常でよく見る文字がいくつかあるのに気がつきます。そうです、Σ(シグマ)は積分で、π(パイ)は円周率、 λ(ラムダ)は形式意味論で、ζはゼータ関数で、κはフォン・カルマン定数で、χ(カイあるいはキー)は統計学のカイ二乗検定で、α(アルファ)はアルファオスなどで日常的に使いますよね。ここまで来ると、これがギリシア文字であることに気がつかれた方が多いのではないでしょうか。今や数学や物理学を中心に様々なところで、ギリシア文字がもちいられており、最近では新型コロナウイルスの変異株にもギリシア文字が用いられています。そして、肝心の言語ですが、ギリシア文字で書かれているということは十中八九、そこにはギリシア語が書かれています(コプト語古ヌビア語カリア語などもギリシア文字を使いますが・・・)。

新約聖書は、ギリシア語で書かれたのです。それも、プラトンやアリストテレス、ホメロスなど有名な古代ギリシアの人々が用いた古典ギリシア語ではなく、マケドニアのアレクサンドロス大王が、エジプトからアフガニスタンまで征服し、その後のそれらの地域で共通語として用いられた、より単純化されたギリシア語コイネー・ギリシア語で書かれました。社会言語学をされている方は、コイネーという用語には慣れ親しまれていると思いますが、このコイネーは、この時代、ヘレニズム世界(ギリシア文化が共通文化となった世界)の共通語として使われたギリシア語でした。ちなみに、ギリシア語だけだと意味がとりにくいかもわかりませんので、先ほどのイエスの誕生シーンの日本語訳を載せます。最新の日本語訳である聖書協会共同訳 (日本聖書協会 2020) では次の通りです。

もう一度申しますが、この誕生シーンの原典が書かれた言語はコイネー・ギリシア語です。


イエスが言った「タリタ・クム」は何語か

イエスの言行録である福音書を有している新約聖書がコイネー・ギリシア語で書かれたということは、イエスの母語は、コイネー・ギリシア語だったのでしょうか?(答えをご存じの読者の方は、しばらくお付き合いください)新約聖書では、イエスのセリフは全てギリシア語で書かれています(もっと細かく言えば、コイネー・ギリシア語)。でも、だからといえって、イエスが話した言語がギリシア語だというわけではありません。イエスが言った言葉が、当時よく使われていた別の言葉に翻訳されて、新約聖書に載った可能性はあります。イエスの母語が何語であるかは書かれていません。ですが、それを示唆する場面はいくつかでてきます。それらのシーンのうちの一つをご紹介します。

ちょっと長くなりますが、イエスが、ガリラヤ(現在のイスラエル北部)地方で活動しているときのできごとです。ガリラヤにはティベリアス湖(ガリラヤ湖)という大きな湖があり、イエスとその弟子たちは、舟でティベリアス湖を移動していました。時は、イエスが宣教活動をした3年間である西暦28年から30年のどこかです。イエスがティベリアス湖畔のある土地に上陸したところ、娘を助けてほしいという会堂(ユダヤ教の集会堂)の管理者であるヤイロが娘が死にそうだから助けてほしい、と懇願し、イエス一行はその娘のところに行くことになりました。続きを読んでみましょう。

その道中、病の女性を奇蹟で治すといった出来事を経て、イエス一行は娘がいる家にたどり着きました。

このように、イエスが「タリタ、クム」と言ったら、少女が回復したことが書かれてあります。このタリタ・クムというのは何かの呪文でしょうか。しかしながら、その後、この福音書の語り手は、このタリタ・クムは「少女よ、さあ、起きなさい」という意味だと解説しています。タリタ・クムは、新約聖書本文では、Ταλιθὰ κούμと書かれていますが、これはコイネー・ギリシア語では何も意味しないため、別の言語です。

この出来事が起こったティベリアス湖畔は現在イスラエルに支配されています。イスラエルといえば、現在は現代ヘブライ語が公用語で、2018年まではアラビア語も公用語でしたが、実は、イエスが生きていた当時のガリラヤやユデヤ(エルサレムがある地域です)の人々の多くは、ヘブライ語アラビア語も日常言語としては話していませんでした。

ヘブライ語は、イスラエル民族の言語で、確かに、紀元前3世紀頃までは話されており、旧約聖書もこの言語で書かれましたし、イエスの名前もヘブライ語由来ですが、イスラエルの民が、諸外国、特に新バビロニアやペルシア帝国に支配されていくにつれ、ヘブライ語は宗教の典礼語となり、日常では使われなくなっていきました。

それと同時に、イスラエルの人々に日常言語として使われたのが、アケメネス朝ペルシア帝国の共通語である帝国アラム語です。ペルシア帝国は、インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派ペルシア語(特に古ペルシア語)を話す民族が支配する国でしたが、中にさまざまな民族を内包し、特に、シリアのダマスカスを根拠地として商業で活躍したアラム人の言語であるアラム語が帝国内でリンガフランカとして使われていたことあって、アラム語を共通語として採用しました。ペルシア帝国の共通語となったアラム語帝国アラム語と言います。

この後、ペルシア帝国はマケドニアのアレクサンドロス大王が征服し、その後セレウコス朝シリアが、ガリラヤを含む西アジアを支配します。セレウコス朝シリアの共通語は、もちろん、アレクサンドロス大王の母語であるギリシア語ですが、民衆はすぐに母語を切り替えることはできなかったようです。アレクサンドロス大王の征服からイエスが生まれるまでの約300年間、支配階級の言語は、ギリシア語でありましたが、一般民衆の母語はすぐにギリシア語となることはありませんでした。

こうして、イエスの生きた当時のガリラヤの人々の言語はギリシア語でも、ヘブライ語でも、アラビア語でもなく、アラム語であり、このタリタ・クムアラム語טליתא קום ṭlīthā qūm「少女よ、起きよ」です。なぜ、書き手がここをギリシア語に訳さず、アラム語を使ったのかは謎ですが、おそらくこの場面が非常に印象的だったので、原語を書きたかったのでしょう。(少女の病を一瞬で取り去るという奇蹟の場面なので、呪文的な効果を狙ったのかもしれません。)また、この טליתא קום ṭlīthā qūmטליתא ṭlīthā は、 טלי ṭlē「若い、若者」という意味の語の女性単数形です。その後の、 קום qūm は、男性に対する命令形であり、文法的には、女性に対する命令形である קומי qūmī にしなければいけないのですが、もしかしたら、これは、当時のアラム語の口語を反映しているのかもしれません。初期の写本では Ταλιθὰ κούμ なのですが、後世の写本では、文法的に正しいクミ κούμι (קומי qūmī) に直していて、日本語の聖書翻訳でも、古い翻訳では、「タリタ・クミ」になっているものもあると思います。最新の聖書本文の底本、例えば、ネストレ=アーラント第28版では、おそらく、 Ταλιθὰ κούμι は後世の過修正だと判断して、Ταλιθὰ κούμ にしているのだと思います。最新の日本語聖書翻訳もこれを受けて、「タリタ・クミ」ではなく、「タリタ・クム」にしているのでしょう。ともかく、当時の人々がアラム語を話していたという状況から見て、イエスやその弟子たちが日常的に話したのもアラム語だと思われます。これには状況証拠しかなく、100%正しいかといえば、そうはいえませんが、確率はかなり高いだろうと思われます。

アラム語の一方言で書き言葉になった古典シリア語の写本(画像はパブリックドメイン)

イエスの母語がアラム語であったことは、かなり可能性が高いのですが、イエスがそのほかに何語を学んでいたかはまだわかりません。『ルカによる福音書』第4章14~22節には、イエスがイザヤ書を集会堂で読む描写が新約聖書があるので、おそらくすでに古典語となっていたヘブライ語は学んでいたと思われます。ヘブライ語アラム語は非常に系統的に近く、アラム語母語話者がヘブライ語を学ぶのはそれほど難しくはなかったと思われます。

それに比べ、新約聖書が書かれたギリシア語は、おそらくイエスは学んでいなかったと思われます。というのも、イエスは、宣教活動を行う前はナザレの街で大工をしており、決して上流階級・支配階級の教育を受けていたとは思えないからです。それに比べ、新約聖書に多数の手紙が収められており、キリスト教の非ユダヤ教徒への伝道に大きな功績があったパウロは、ローマ市民で、上流階級の出であり、アテネの人々に伝道をするほど、ギリシア語に長けていたと思われます。

ほかに、イエスが古代エジプト語を挨拶レベルで覚えていた可能性もあります。『マタイによる福音書』2章 13~23節によれば、イエスは、母マリアと父ヨセフと一緒に、ヘロデ大王の殺戮から逃れるために、幼い時にエジプトで暮らしていたことが新約聖書に書かれています。これが本当なら、もしかしたら、当時のエジプトの民衆の言葉である、古代エジプト語に触れていたかもしれません。当時の古代エジプト語は、神殿の壁などに刻まれる文字ヒエログリフではなく、デモティックという文字で書かれた文献に表れていると言われている民衆文字エジプト語です。この民衆文字エジプト語は、ギリシア文字をベースとしたコプト文字で書かれるエジプト語であるコプト語に非常に近い文法や語彙を持っていたものです。ただ、イエスがどれほどの期間エジプトに滞在していたかは新約聖書の記述からはわからず、古代エジプト語に触れていたというのは憶測でしかありません。

新約聖書がコイネー・ギリシア語で書かれたのは、コイネー・ギリシア語が、西アジアやバルカン半島だけでなく、エジプトやイタリア、ヒスパニアなど、他のローマ帝国の領土でより広く上流階級・文化階級の共通語として用いられているためで、それらの人々に宣教するという目論見があったと思われます。ややこしいことに、ローマ帝国の公用語はラテン語なのですが、特に東地中海に面する諸地域では、ギリシア系諸王朝がローマ帝国以前に支配していたこともあり、ギリシア語が共通語として使われ続けました。また、首都ローマを中心とする、西地中海の諸地域でも、哲学や文学、数学などで諸学問で世界をリードしていたギリシア文化の言語として、ギリシア語は、教養層が学ぶべき言語でした。哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウスは、『自省録』という自分への訓戒をまとめたものを著しました。彼自身は、ラテン語を日常的に用いるラテン人でしたが、彼はこの著作をギリシア語で書いています。


古代地中海世界のポリグロシア

さて、ここで、ここまで出てきた言語の系統と社会状況をまとめてみましょう。世界の言語は約7000言語あると言われていますが(言語と方言の定義でその数は変わってきます)、いくつかの言語は、別の言語と共通の祖先である祖語を持つことが証明されています。共通の祖語を持つ諸言語をまとめて語族と言います。その語族の下位区分が語派ですが、その語派はさらに語群や諸語に分かれていきます。

インド・ヨーロッパ語族

おそらく南ロシアからウクライナに広がるステップ地帯で話されていたインド・ヨーロッパ祖語を共通の祖先とする諸言語。ヨーロッパの数多くの言語、イランと北部インドの数多くの言語がこの語族に属する。英語ドイツ語などが属するゲルマン語派フランス語スペイン語などが属するイタリック語派アイルランド語ウェールズ語などが属するケルト語派リトアニア語ラトビア語などが属するバルト語派ロシア語ポーランド語などが属するスラヴ語派ヒンディー語ペルシア語などが属するインド・イラン語派ギリシア語が属するヘレニック語派アルバニア語が属するアルバニア語派アルメニア語が属するアルメニア語派ヒッタイト語象形文字ルウィ語などが属するアナトリア語派トカラ語Aトカラ語Bが属するトカラ語派に分かれます。

ギリシア語・・・ヘレニック語派に属する。バルカン半島の先端部にあるギリシアの諸都市国家及び、アナトリアやその他地中海地域のギリシア人植民都市で用いられていた言語。古代、イオニア方言アイオリス方言ドーリア方言に分かれた。ミケーネ文明では線文字Bで書かれたが、のちにフェニキア文字を改良したギリシア文字が使われるようになった。『イリアス』や『オデュッセイア』などホメロスの叙事詩がこのギリシア文字ギリシア語で書かれ、アテネの黄金時代である紀元前5〜4世紀には、プラトンやアリストテレスの哲学書、アイスキュロスやソフォクレスやエウリピデスの悲劇、アリストファネスの喜劇、トゥキディデスやヘロドトスの歴史書などさまざまな学問・文芸分野で用いられた。こののち、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征によって樹立されたギリシア系諸王朝で、エジプトから中央アジアまでの広い範囲で共通語であるコイネー・ギリシア語として用いられ、ギリシア文化を基調としながらも多様な文化を内包する、ヘレニズム文化の主要言語となる。現代では、ギリシア語が公用語となっているギリシアと(南)キプロスだけでなく、イタリア、トルコ、ジョージアなどで話されている。現代ギリシア語には、様々な方言があり、特にジョージアやトルコのポントス・ギリシア語や、トルコのカッパドキア・ギリシア語、イタリアのグレコ語、そして、ペロポネソス半島の一部で話されるツァコニア語は、現代の標準的なギリシア語(デモティキ)とはかなり異なる。特に、現代のギリシア語のほとんどが、古代のイオニア方言を受け継いでいるのに対して、ツァコニア語は唯一ドーリス方言の系統である。現代ギリシア語は、一時期、コイネー・ギリシア語に近い文語であるカサレヴサと現代の口語に近いデモティキがその標準語の地位を争ったが、デモティキが標準語の地位に落ち着いた。現代ギリシア語文学としては、『その男ゾルバ』や『キリストは再び十字架にかけられる』を著したニコス・カザンザキスがことのほか有名である。

ラテン語・・・イタリック語派のうちラテン・ファリスキ語群に属する。都市国家ローマを打ち立てたラテン人たちの言語。都市国家ローマがイタリア半島そして地中海世界の大部分を併合していくなかで、急速に使用地域を広げた。ローマ帝国は、イエスが生まれる少し前に共和制から帝政になったあと、トラヤヌス帝の時に領土が最大になる。口語のラテン語である俗ラテン語から、イタリア語フランス語スペイン語ポルトガル語ルーマニア語などロマンス諸語が分かれる。ヨーロッパのうち、カトリックおよびプロテスタントが多い諸国では、近代までラテン語は学問および法の言語であった。さらに、20世紀半ばの第二バチカン公会議まで、ローマ・カトリック教会の典礼語でもあったが、公会議以降、各地の言語で典礼を行うことになった。しかし、今現在でも、ラテン語でミサをたてたり、祈ったり、聖歌を歌ったりすることがよく行われている。

インド・ヨーロッパ語族は、現代社会で世界的に非常に多くの言語話者を有しています。例を挙げれば、英語ドイツ語フランス語スペイン語イタリア語ヒンディー語ペルシア語など有名な言語がたくさんでてきます。これらの言語は、母語話者だけでなく、それらを学習している人たちも多いです。日本でも、インド・ヨーロッパ語族に属する英語が義務教育で教えられてますよね。

次に、イエスの母語だと考えられるアラム語が含まれるアフロ・アジア語族には、今回出てきた言語では、ヘブライ語アラビア語エジプト語が含まれます。

アフロ・アジア語族

おそらくエチオピアあたりで話されていたアフロ・アジア祖語を共通の祖先として、西アジアから北アフリカ、一部はタンザニアまで広がる諸言語。ヘブライ語アラビア語アムハラ語などが属するセム語派エジプト語古代エジプト語コプト語)の属するエジプト語派タシルハイト語シワ語が属するベルベル語派ハウサ語などが属するチャド語派ソマリ語シダーマ語などが属するクシ語派ウォライタ語などが属するオモ語派に分かれる。なお、過去にはセム・ハム語族と呼ばれたが、聖書に基づいたミスリーディングな呼称であるため、言語類型論者のジョーゼフ・グリーンバーグによってアフロ・アジア語族という呼称が提唱され、現在では専らグリーンバーグの呼称が用いられている (Greenberg 1963, 1966)。

アラム語・・・セム語派に属する。おそらくイエスやその弟子が日常的に話していたとする言語。元はダマスカスを中心とする商業に長けたアラム人の言語。アケメネス朝ペルシア帝国の公用語。書き言葉として様々な方言が用いられ、そのうち、古典シリア語は哲学やキリスト教などの多数の文献を残している。古典シリア語は、中東の様々なキリスト教会の典礼語となっている。現代にもトルコやシリアにおいて現代アラム語の母語話者が存在する。

ヘブライ語・・・セム語派に属する。イスラエル民族の言語。イエスが生きていた頃は、専ら宗教的儀式で用いられた。旧約聖書の言語。その後もユダヤ教徒の文章語として用いられ続け、20世紀前半にエリエゼル・ベン・イェフダーによって、言語復興運動が行われ、母語話者が回復し、現在はイスラエルの公用語。

アラビア語・・・セム語派に属する。元はメッカを中心としたアラブ人の言語。7世紀にメッカの商人であったムハンマドが、神のお告げを聞き、イスラームを創始。イスラーム帝国が西アジアから北アフリカ、さらにはヨーロッパのイベリア半島を征服し、広大な地域の公用語となる。イスラームの聖典『クルアーン』はこの言語で書かれる。現代では、文語であるフスハー(正則アラビア語)と口語であるアーンミーヤが用いられ、アーンミーヤは様々な地域で方言がある。EU加盟国で、地中海に浮かぶ島国であるマルタ共和国の公用語であるマルタ語は、アラビア語の1方言であるが、シチリア語からの借用が多く、また、アラビア文字ではなく、ラテン文字を用いて書かれる。

なお、セム語派の諸語の分類や類型論的特徴についてはGragg and Hoberman (2012) を参照。

エジプト語・・・エジプト語派に属する。紀元前3350~3150年頃から文字資料を有する。古代エジプト文明の担い手が用いていた言語で、ヒエログリフ聖刻文字)、ヒエラティック神官文字)、デモティック民衆文字)の3種類を有する古代エジプト文字で書かれた。エジプトがギリシア人に支配されるようになると、ギリシア文字を用いてエジプト語を書く試みがなされ、デモティックからいくつか文字がとられて、やがてコプト文字として標準化し、3世紀ころからコプト文字で書かれたエジプト語、すなわちコプト語として多数の宗教文献や日常の文書を残した。エジプト語は、遅くとも17世紀に母語話者がいなくなったと推定されるが、現在もコプト正教会というエジプトのキリスト教の宗派において、典礼言語として用いられている。エジプトやオーストラリアを中心に、コプト語復興運動も続いている。所有構文の言語変化を例に用いたエジプト語の歴史の概略についてはKammerzell (2000) を参照。ちなみに、Kammerzell (2000) はエジプト語の書記の歴史を紀元前32世紀頃としているが、Dryer (2011)は最古の古代エジプト文字資料であるアビュドスU-j墓出土の象牙製のタグについて、放射性炭素年代測定の結果を紀元前3350~3150年としている。

アフロ・アジア語族の分岐の過程の有力な説、および、祖語の語彙の再建については Ehret (1995)を参照。

これまでの流れをまとめると、

イエスの母語はアラム語であった可能性が非常に高く、イエスは宗教の言語としてヘブライ語を勉強していた可能性が高い。それに対して、新約聖書の言語であるギリシア語を学んでいたかは不明。

ということです。

以上、イエスの時代のガリラヤを中心とするローマ帝国における多言語併用社会(ポリグロシア)についてお話ししました。今回出てきた言語以外にも、ローマ帝国では、インド・ヨーロッパ語族の様々な言語(ガリア語ブリトン語トラキア語ダキア語ゲルマン諸語イリュリア語アルメニア語など)、アフロ・アジア語族の様々な言語(ヌミディア語などのベルベル諸語ナバテア語フェニキア語べジャ語など)、ナイル・サハラ語族ヌビア諸語など)、カルトヴェリ語族ジョージア語など)、北東コーカサス語族コーカサス・アルバニア語)など、他に、系統不明の言語として、エトルリア語バスク語アクイタニア語などさまざまな語族の言語が話されていました。

言語学では、このような多言語を併用する社会状況を指してポリグロシアと言います (Holquist and Emerson 1981:431など参照)。ポリグロシアは英語ではpolyglossiaと書きますが、これは、ギリシア語からラテン語に借用された語彙を用いて、さらに英語でそれらを借用して組み合わせたもので、この語自体が多重の借用を経ています。poly-はギリシア語πολύς「多い」の語幹、glossiaは、γλῶσσα「舌、言語」の語幹に接尾辞-iaがついたものです。ポリグロシアの社会としては、現代ではフィリピンや南アフリカが有名です。たとえば、フィリピンのネグロス・オリエンタル州のドゥマゲテという都市では、日常会話はヴィサヤ語(セブアノ語) でするが、テレビや学校ではフィリピノ語(国語) / タガログ語も用いられ、最も改まったときは英語を使うそうです。権威的には、ヴィサヤ語フィリピノ語英語という序列ができ、権威が高い言語から低い言語へ語彙が供給されやすいことが言われています。同様に、イエスの時代のガリラヤでは、民衆は口語のアラム語を話しましたが、ユダヤ教の集会などでは宗教語であるヘブライ語が用いられ、上流階級や学問の分野ではヘレニズム文明のコイネー・ギリシア語を、そして、イエスの時代のユダヤ属州総督であるポンティウス・ピラトゥスのようなローマの統治者たちはラテン語を用いました。まさに、イエスの時代のガリラヤはポリグロシアだったのです。


最後に、イエスが話したとされるアラム語の、より少し後の一方言である古典シリア語で、イエスが弟子たちに教えたと福音書に書いてある「主の祈り」(『マタイによる福音書』6章9~13節)を聞いてみましょう。アラム語は、様々な方言が、古典シリア語マンダ語パルミラ語などとして文字で書かれ、特に、古典シリア語は多くの文献を残し、現在でもシリア正教会、アッシリア東方教会、インドのトマス派諸教会、レバノンのマロン派教会などで典礼語として用いられています。実は、アラム語は、現在も、トルコやシリアに話者がおられ、日常生活で用いられています。ただし、それらの現代アラム語は、言語変化によって、2000年前の聖書の時代のアラム語とはかなり異なる文法・語彙になっています。


本日は長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。今回何度も言及された、新約聖書の言語であるコイネー・ギリシア語ですが、来年度から、東京外国語大学オープンアカデミーでこの言語のクラスがオンラインで開講されます。そこでは、今回読んだ新約聖書や、マルクス・アウレリウスの『自省録』を読めるよう、コイネー・ギリシア語の文字の読み方と文法を一から学びます。ぜひご興味のある方は、ご受講ください。

終わりは、クリスマスの定番ソングである「諸人こぞりて」で締めたいと思います。それではみなさん、良いお年をお迎えください。

賛美歌 第112番 「もろびと こぞりて」は、クリスマスの定番賛美歌。この動画はAIきりたんとAI謡子によるコンピュータ音声による歌唱。

1. 諸人こぞりて むかえまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

2. 悪魔のひとやを うちくだきて
とりこをはなつと 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり

3.この世の闇路を 照らしたもう
たえなる光の 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり 

4.しぼめる心の 花を咲かせ
めぐみの露おく 主は来ませり
主はきませり 主は 主は きませり 

5.平和のきみなる み子をむかえ
すくいの主とぞ ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ

アーメン

『賛美歌』第112番

参考文献

Dreyer, Günter (2011) Tomb Uj: A royal burial of Dynasty 0 at Abydos. In: Emily Teeter (ed.) Before the Pyramids: The Origins of Egyptian Civilization. 127–136. Chicago: Oriental Institute, University of Chicago.

Ehret, Christopher (1995) Reconstructing Proto-Afroasiatic (Proto-Afrasian): vowels, tone, consonants, and vocabulary. Berkeley: University of California Press.

Holquist, Michael and Caryl Emerson (1981) The dialogic imagination: Four essays of M.M. Bakhtin (Glossary). Austin: University of Texas Press.

Greenberg, Joseph H. (1963) The Languages of Africa. (International Journal of American Linguistics, Vol. 29, No. 1, Part II) Bloomington: Indiana University.

Greenberg, Joseph H. (1966) The languages of Africa. 2nd ed. The Hague: Mouton.

Gragg, Gene and Robert Hoberman (2012) Semitic. In: Frajzyngier, Zygmunt and Erin Shay (eds.) The Afroasiatic Languages, 145–235. Cambridge: Cambridge University Press.

Kammerzell, Frank (2000) Egyptian possessive constructions: a diachronic typological perspective. STUF – Language Typology and Universals, 53(1), 97–108

Nestle, Eberhard, Erwin Nestle, Barbara Aland, Kurt Aland, Johannes Karavidopoulos, Carlo M. Martini, and Bruce M. Metzger. (2012) Novum Testamentum Graece. 28th ed. Stuttgart: Deutsche Bibelgesellschaft.

日本聖書協会 (2020) 『聖書:日本聖書協会共同訳』東京:日本聖書協会.

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コメント

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